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板橋 教会 クリスマス イブ

【クリスマス・イヴ礼拝】 救い主の誕生 マタイによる福音書2章1~12節

板橋 教会 クリスマス イブ

12/24htt(日) 5:00pm – 6:00pm クリスマス・イヴ礼拝
クリスマス・イヴ当日 YouTubeライブ配信をいたしました。
録画は限定公開とさせていただいています。
ご覧になりたい方は、その旨下記メールにてご連絡ください。
別途URLをお伝えいたします。
akatsukakyokai@gmail.com
※イヴ礼拝では、聖書朗読とクリスマス・ページェント、
メッセージと祈り、賛美でプログラムが進行いたしました。

聖書―マタイによる福音書2章1~12節
(はじめに)
クリスマスおめでとうございます。
今年もクリスマスを迎えました。ところで、クリスマスとは、どういう意味でしょうか?クリスマス、それは、キリストを礼拝する、という意味です。今日は、そのクリスマスの名前の由来から、聖書の言葉を聴いていきたいと思います。

(聖書から)
今日は、新約聖書・マタイによる福音書2章1~12節からお話しします。先ほどは、クリスマス・ページェントがありました。聖書に書かれているクリスマス、世界で最初のクリスマスというのは、どういうクリスマスであったのか、私たちは、見て、聴いて、知ることができました。
ページェントの中で博士たちが出てきました。この博士たちについて、聖書には、「占星術の学者」とも書かれています。聖書の言葉を読んでみます。
2:1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、2:2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
イエスさまは、ヘロデ王がユダヤを治めている時代に、ベツレヘムでお生まれになった、とありました。その時、博士たちが東の国からエルサレムにやって来たというのです。なぜ、やって来たのか、というと、博士たちの言葉がこのように書かれていました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」とあります。これが、イエスさまのことです。イエスさまがお生まれになったから、博士たちはやって来たのです。赤ちゃんが生まれる。すると、皆さんはどうしますか?新しい命の誕生!嬉しいことですね。おめでとう!これは喜びですから、お祝いします。
それでは、博士たちも、イエスさまの誕生をお祝いするために、東の国からはるばるやって来たのでしょうか?もちろん、お祝いするためであったでしょう。でも、聖書には、こんなことが書いてあります。「わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」。「拝みに来たのです」と書いてあります。拝む、ということ。これが、礼拝する、ということなのです。イエスさまを礼拝するために、博士たちはやって来たのです。
博士たちは、「東方でその方の星を見た」とありますように、東の国で、星を研究している人たちだったようです。それで、占星術の学者と書いてあります。今から二千年ほど前の話です。まだこの時代は、星を研究する学者というのは、大学の立派な天文学者の先生というよりは、占星術、あるいは占星学、今で言うと、占いに近いようなものだったようです。ですから、聖書の舞台であるユダヤでは、東の国から来たこの人たちはいったい何者だろう?と思われていたようです。
東の国からやって来た博士たち。彼らがイエスさまを礼拝しにやって来た。このことは、ユダヤの人たちの耳にも入りました。
2:3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。
なぜ、ヘロデ王は、そして、エルサレムに住むユダヤの人たちは、不安を抱いたのでしょうか?ヘロデ王は、自分がユダヤを治めているのに、博士たちが「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」と言ったから、とても心配になったのです。自分が王様なのに、自分の地位を脅かすような者が現れた?と思って心配になったのです。ユダヤの人たちも、自分たちが知らない、聞いたこともない者が、ユダヤ人の王になる?やはり、心配になったのです。
心配になったヘロデ王は、ユダヤにいる聖書に詳しい人たちを集めて、ユダヤ人の王について、尋ねました。すると、聖書に詳しい人たちは、聖書の言葉を開いて、説明してくれました。ユダヤ人の王として生まれる方、それは、メシア、救い主のことです、と教えてくれました。
2:4 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。2:5 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
2:6 『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
ヘロデ王は、この話を聞いて、博士たちに、あなたたちが探しているユダヤ人の王、それは救い主のことで、そのことは聖書に書いてある、と伝えました。
2:7 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。2:8 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。
ヘロデ王は、心の中では、ユダヤ人の王、救い主について、不安な思いを持っていましたが、そのことは隠して、博士たちにこう言っています。「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」。ヘロデ王がユダヤ人の王として生まれた方がいる場所が分かったら、そこに礼拝に行く、と言ったのは、嘘でした。場所が分かったら、殺してしまおうと考えていました。
博士たちは、ヘロデ王から聞いた言葉、つまり、ヘロデ王を通して聞いた聖書の言葉によって、再び、ユダヤ人の王を探しに行きます。博士たちは、星の専門家でしたが、途中でどこに行ったらよいのか、分からなくなっていたのです。そして、戸惑っていた彼らを導いたのは、聖書の言葉だったのです。私たちはどうでしょうか?自分が信じている道、こうだと思っていること、でも行き詰ってしまったらどうしたらよいでしょう?博士たちの生き方は、そういう私たちにヒントを与えます。もう一度言いますが、彼らは、自分の専門の占星術では行き詰ってしまったのですが、そういう彼らを聖書の言葉が導いたのです。
2:9 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。2:10 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
ここに「王の言葉」とありますが、これは正確には、ヘロデ王から聞いた聖書の言葉ということです。星に導かれ、そして、聖書の言葉に導かれ、博士たちはユダヤ人の王、救い主のいる場所が分かりました。その時の博士たちの様子が10節にこのように書かれていました。「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」。この「喜びにあふれた」という言葉ですが、直訳的に訳している聖書では、「はなはだしく大きな喜びを喜んだ」(岩波訳・脚注)、「非常に大きな喜びをもって喜んだ」(田川訳)となっています。日本語としては少し変ですが、喜びに喜びがあった、と言ったらよいでしょうか、博士たちにとって今まで経験したことのない喜びだったのです。皆さんはいかがですか?自分の人生を振り返って、一番嬉しかったこと、忘れられないような喜び・・・。博士たちの喜びはそういう喜びだったと思うのです。
そして、ようやくユダヤ人の王として生まれた方、救い主に会うことができました。
2:11 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
救い主は小さな小さな幼子でした。しかし、彼らはその方に出会うと、「ひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」と書いてあります。ひれ伏す、拝む、献げた、というのは、救い主を礼拝した、ということです。彼らは、救い主を礼拝するために、東の国から旅してきました。ようやく彼らはその目的を果たすことができたのです。メシアとは、旧約聖書の言語であるヘブライ語で救い主という意味です。新約聖書の言語はギリシア語です。救い主をギリシア語では、キリストといいます。なぜ、ギリシア語なのか、というと、二千年前には、地中海で広く使われている言語だったからです。世界中の多くの人たちが、救い主を知り、出会ってほしいから、ギリシア語で書かれたのです。キリストを礼拝する。それが、クリスマスの意味です。そして、クリスマスの出来事とは、キリストが誕生するという出来事、私たちの心の中に、私たちの人生の中に、キリストが誕生するという出来事なのです。

(むすび)
黄金、乳香、没薬を博士たちはささげました。マルチン・ルターという人、おそらく、皆さんは世界史で名前を聞いたと思います。宗教改革をした人、プロテスタント教会の生みの親と言ってもよい人です。この人が、博士たちの贈り物について、こういうことを言っています。博士たちは、黄金、乳香、没薬をイエスさまにささげた。それは、信仰と希望と愛をささげたのだ、というのです(『クリスマス・ブック』)。信仰とは、神さまを信頼して生きること、希望とは、神さまを希望として生きること、そして、愛とは、神さまの愛に従って生きることです。
2:12 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
この言葉で、博士たちの旅の記事は終わりますが、彼らは、イエスさまに出会って、別の道、つまり、今までとは違う生き方が始まったのです。その生き方とはどういう生き方でしょうか。それは、救い主と一緒に人生の道を歩むということです。どうか、このクリスマス、イエス・キリストをその心に、人生にお迎えして、この方と一緒に歩まれる方がありますように、心からお祈りいたします。

祈り
恵み深い私たちの主なる神さま
クリスマスを迎え、私たちは、クリスマスイヴの礼拝を行っています。イエス・キリストは、ユダヤのベツレヘムの家畜小屋でお生まれになりました。最初のクリスマスのことを世界中の誰も知らなかったと思いますが、イエスさまに出会った人たちには、生きる希望が与えられ、その喜びから、世界中にクリスマス、イエスさまがお生まれになったことが広まりました。私たちもこの喜びを伝える者にしてください。
今年は、イエスさまのご生誕の地ベツレヘムのクリスマス行事が中止になっていると聞きます(朝日新聞12月10日付)。どうか、この世界に生きる私たちが、キリストがおいでになったことをおぼえて、戦いを止め、キリストの平和を求めるものでありますように。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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